猿一匹 酔って候

Live-up Works(リブアップ・ワークス)主宰、大西啓介のブログ。2012年からフリーライターとして活躍。企業のPR媒体から、ごみ、リサイクル問題、老人福祉などの分野をメインに取材・執筆活動を行う。現在は東京都豊洲市場に出入りして水産分野でも活動中。

起きる必要がない差別

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遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

今年の正月はSTAY HOMEしていたこともあり、例年よりもテレビをよく観ていました。
当然CMを目にする機会も多くなりますが、企業のイメージ広告で、「違うものを認めよう」と多様性(ダイバーシティ)の尊重を主張するCMがいくつか見受けられました。

ダイバーシティが叫ばれるようになって久しいですが、2011年の福島原発事故、そして去年から続く新型コロナウイルスの感染もこういったCMに影響を与えているような気がします。

人種、性別、宗教などによる差別は世界各国に存在します。出生や長い歴史に基づく「事実」は決して変えられるものでなく、それゆえ長い時を経てあらゆる差別が生み出され、そして定着してきました。しかし、東日本大震災直後に起きた、福島産農産物の不買運動や、避難指示区域から引っ越してきた子どもたちへのいじめや嫌がらせは、ある出来事がきっかけでパニック的に発生した「差別」だったと思います。

コロナに関しても同様な差別が見受けられます。僕の母親がオンライン英会話をやっていて、そこのカメルーン人講師が「コロナに感染した」とい言った途端、チャット中の2人が急に退席してその後連絡が取れなくなってしまったとのこと。

ここまで感染拡大してしまったいま、いつだれが加害者にも被害者にもなり得ます。もし自分がこの英会話講師のように、突然腫れ物扱いされたらどのように感じるのでしょうか? 差別する側とされる側との境界線は常に紙一重であるがゆえ、闇雲に他者を攻撃することは望ましくありません。やるせないことですが、感染予防を徹底し外出を控えていた人と、マスクもせずに夜な夜な飲み歩いていた人。どちらが感染しても同じ扱いです。

企業がCMなどを通じてダイバーシティに触れるのは、障がい者雇用の義務など法律上による部分もあります。それでもこういったCMは、コロナによって疲れ、荒み、自暴自棄になりそうな人間の心に、いま一度「冷静になれ」と呼びかけているようにも聞こえます。一時的な感情に流され大切なものを見失ってしまうと、終息後、人の心には一体何が残るのでしょうか?