猿一匹 酔って候

Live-up Works(リブアップ・ワークス)主宰、大西啓介のブログ。2012年からフリーライターとして活躍。企業のPR媒体から、ごみ、リサイクル問題、老人福祉などの分野をメインに取材・執筆活動を行う。現在は東京都豊洲市場に出入りして水産分野でも活動中。

手塚治虫の功罪

たびたびこのブログに読書レビューを載せていますが、久々に心の底から「面白い!」と思える一冊に出会えました。

サンデーとマガジン (光文社新書) | 大野茂 |本 | 通販 | Amazon

少年漫画雑誌の両雄『少年サンデー』(小学館)と『少年マガジン』(講談社)。1959年(昭和34)に同時に産声を上げたこの少年2誌は、互いに強力なライバルと認めながら、より多くの読者を取り込み、売上部数を確保しようとする戦いを繰り広げてきた歴史があります。

僕の世代(1980年生まれ)だと『少年ジャンプ』(集英社)一択なのですが、藤子不二雄赤塚不二夫ちばてつや梶原一騎など誰もが知っている著名な漫画家たちと作り上げてきた歴史の重みは、この2誌には遠く及ばないことでしょう。

本の内容や読んだ感想は、ここで一言では伝えられないのですが、個人的に読んで気になった、というか自分の中で物の見方が変わった点があったので、この場でで記しておこうかなと思いました。

 

神格化された手塚治虫

この2誌に連載を持っていた漫画家の一人が手塚治虫です。誰もが知っている漫画界の巨星で、死後30年以上経った今でも多くの漫画家にとって憧れの存在です。手塚治虫が亡くなったのは1989年(平成元)。当時小学校4年生だった僕も、巨星が去ったニュースが大々的に報道されたのを記憶しています。さらには同年7月には、歌手の美空ひばりが亡くなったこともあり、「ひとつの時代の終焉」と印象付けるようマスコミが報道していたような気もします。

同業者はもちろん、ジャンルの垣根を越えてさまざまなクリエイターから尊敬を集めていることから、あまりまともに手塚作品を読んだことのない僕にとっても、何となく手塚治虫は神に等しい、敬うべき存在の人なんだという認識がありました。ところが本著では、あくまで手塚治虫は登場する一人の漫画家として取り上げており、彼の残した悪しき(?)慣習や不名誉な点についても、淡々と触れています。

その一つが、後のアニメーション業界に深く根付く「賃金(ギャラ)の安さ」です。当時たくさん少年誌に連載を持っていた手塚は、そこで得た原資で安くアニメーション制作を請け負うビジネスモデルを作り上げました。アニメ制作の過程で多少ロスが出たとしても、本業の漫画で稼いだお金で穴埋めできるとの算段だったのでしょう。何物にも先鞭を付けて「日本のウォルト・ディズニーになりたかった」と著者は記しています。

さらには、後に手塚自身の首を絞めるトラブルに見舞われることになります。手塚のもとで働いていたアニメ制作関係者が、一つの仕事だけでは生活できず、他の制作プロダクションとの掛け持ちで仕事を行っていたところ、リリース前の手塚のアイデアを別の仕事先で漏らしてしまい、それが原因で盗作が生まれる事態に。盗作の存在を知り冷静さを失った手塚はゴネにゴネた結果、盗作の元になった作品の連載中止を決定し、講談社との関係も一時的に切れてしまったこともあります(※)。

※注:この件については、著者の大野氏は「あくまで想像の域を出ない推測」と付け加えていたため、100%事実という確証はありません

プライドと言えば聞こえは良いですが、カネや知名度にからむ妬みなども随所に描かれており、インタビューに応じた両出版社スタッフを通じて、当時を生きる漫画家たちの欲望や苦悩がダイレクトに伝わってくる内容です。

手塚治虫を批判するなんてとんでもない。いや、批判の対象になりうる要素など1ミリもない、まさに聖人君子なような存在だとずっと信じて疑いませんでした。でもやはり手塚治虫も人の子。ジャーナリズムの観点から、登場する漫画家たちのワンオブゼム(One of Them)として手塚治虫を取り上げてくれた著者の大野氏には感謝です。気になった方はぜひ読んでみてください。