猿一匹 酔って候

Live-up Works(リブアップ・ワークス)主宰、大西啓介のブログ。2012年からフリーライターとして活躍。企業のPR媒体から、ごみ、リサイクル問題、老人福祉などの分野をメインに取材・執筆活動を行う。現在は東京都豊洲市場に出入りして水産分野でも活動中。

おまかせ(Omakase)

https://news.yahoo.co.jp/articles/e5ac5ba086bcde50fbad66999e8983b038ac555a

このYahooの記事に書かれているとおり、「おまかせ(Omakase)」はすでに外国人相手にでもそのまま伝わる日本語になりつつあります。

今年1月末に豊洲市場で「World Sushi Cup Japan 2022」(ワールド・スシ・カップ)という、世界で活躍する外国人すし職人の技能や知識を競うコンテストが開催されました。僕も取材で同席しました。出場選手はブラジル、フランス、チェコシンガポールなど全員外国籍の選手なので、大会を通して常時英語による同時通訳がされていましたが、その中でも通訳者は「おまかせ」をあえて訳さず、「Omakase」とそのまま発音していました。

World Sushi Cup Japanの様子(筆者撮影)

この背景には、世界的な日本食ブームの影響があるわけですが、海外にはない文化や習慣などを、あえて日本語のまま外国人に覚えてもらうというのも、なかなかクールなものですね。

ただし、このYahoo記事は「おまかせ=高額メニュー」というふうにしか捉えていません。これは大きな間違いで、本来「おまかせ」というのは、旬の食材を料理人自らが吟味して、今時分最高のものを食べてもらおうというのが本来の目的のはずです。旬の食材ならば、大量に捕獲されている可能性もあるので、案外、お値打ち価格で食事できるケースも考えられます。

四季の変化に富んでいる日本では、旬の食材を食べることで季節の訪れを感じる文化があります。本当の意味での「おまかせ」もこの延長のはず。値段や体裁、ステータスを表す言葉として、「おまかせ」が誤用されているのは実に不本意で悲しいことです。まあ、韓国らしいと言えばそれまでですが(笑)。

誤字だヨ! 全員集合

① STAFF ONRY

はい、これは日本人あるあるですね。英語の「L」と「R」を間違えるパターン。英語圏の人からしたら信じられないスペルミスかもしれませんが、日本ではよくあることかも。でもここまでデカデカと書かれると、やはり目立つものです。

 

② 味噌ラメーン

これはテプラかなにかでテキスト入力したはいいが、そのまま気づかずのパターンですね。秋葉原昭和通り沿いにある某ラーメン屋です。あと関係ないけど、この券売機の真横に、なぜかラルクアンシエルのKENモデルのギターが飾ってありました。

 

③ ワルイドに突っ走れ!

ゲイリー・ムーアのアルバム『After The War』に収録されている『Livin’ on Dreams』という曲の日本語訳詞。英語歌詞では「Runnig Wild~」と歌っています。おそらく②と同様のテキストミスだとは思うが、連呼しているにもかかわらず、印刷されるまで気づかないのは、ホント狙ってやっているんじゃないかと疑うレベル(笑)

 

また、見つけ次第、投稿するようにします。

本のプレゼント

先日本棚を整理していたら、こんな本が出てきました。

奇跡のリンゴ』石川拓治著 幻冬舎

 

青森県でリンゴ農家を営む木村秋則さんの半生を綴った書籍。2013年には映画化もされ、この本の存在は多くの人に知られることとなりました。

ざっくりとした内容は、リンゴの害虫に悩まされていた木村さんが、あることがきっかけで、従来当たり前とされていた農薬使用を一切止めて、厳しい自然環境の下、植物本来が持つ自然の力を引き出して、リンゴの栽培を軌道に乗せた… というサクセスストーリーです。本の表紙の人懐っこい笑顔が印象的な木村さんですが、実際のところ、いくら試行錯誤してもリンゴ栽培がうまくいかず、自殺の一歩手前まで追い込まれて苦しんでいました。成功した後も、農薬を売り付けたい農協との軋轢みたいなことも書かれていたような気がします。

この本を入手したのは2009年。実は自分で見つけて買ったわけではなく、僕が以前勤務していた広告代理店の、2歳年上の先輩社員が僕の退職時にプレゼントしてくれたものです。その先輩は女性で、チャランポランな僕に対しても良く接してくれていた反面、やはり女性特有の気まぐれというか、自分の機嫌が悪い時にはあまりに理不尽な理由で怒られたりもしました。そんな彼女から本をプレゼントされたのは意外でした。この本に込められたメッセージを改めて回顧してみると、

「常識にとらわれるな」
「巨大権力に屈するな」
「自分を信じ、我が道を行け」

という、彼女なりの僕へのエールだったのではないかと思うんです。当時の僕は環境関連の編集をしていたこともあって、「大西君は環境問題に熱心だから…」と言って手渡してくれましたが、そんな理由は二の次だったと思います(もしかしたら、僕の考えすぎかもしれないけど…)。

人にプレゼントを贈るときに、本の内容を通じてどのようなメッセージを相手に伝えられるのか。本を贈る意義みたいなものを、実感できるエピソードだったのではないでしょうか。

https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4%E2%80%95%E3%80%8C%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%80%8D%E3%82%92%E8%A6%86%E3%81%97%E3%81%9F%E8%BE%B2%E5%AE%B6-%E6%9C%A8%E6%9D%91%E7%A7%8B%E5%89%87%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E5%B7%9D-%E6%8B%93%E6%B2%BB/dp/4344416457

初めてのふるさと納税

何らかの機会があれば始めようと思っていた「ふるさと納税」。このたび高知県に寄付させていただくこととしました。

そのきっかけについてですが、以前当ブログでも取り上げた、ヤイカファクトリー代表の井川愛さんの呼びかけによるものでした。井川さんは野良猫の保護活動に尽力されていますが、こちらについて詳しくは以下に記しておきますので、過去記事等をご覧いただければと思います。

さて、「ふるさと納税」と言えば、まず思い浮かべるのは「返礼品」だと思います。ですが、僕は今回のふるさと納税では、あえて返礼品ナシで申し込みをしました。

そもそも「納税」なのに、リターンがあること自体なんかヘンだと思うんです。リターンがあるのであれば、それは納税ではなく「クラウドファンディング」に該当するし、リターンがないのであれば、それは「寄付」と呼べるものだと思います。ここらへんを交通整理というか、名称を含めてもう少しシステムを再考する必要があると僕は思います。

なお、今回僕がお金を出したふるさと納税は、全額殺処分ゼロを目指した野良猫の保護活動費に充てられるものです。トップ写真からもわかるとおり、宛先が自治体ですし、お金の利用目的も明確にされているので、こちらも安心してお金を出すことができます。少しでもお役に立てれば幸いです。

 

 

■過去記事

liveupworks.hatenablog.jp

■ヤイカファクトリー

yaikacat.com

 

ピークの持っていき方

先日のサッカーワールドカップの日本対コスタリカ戦。ドイツに勝利し、勢いそのままにしっかりと勝利を収めてくれるのかと思いきや、後半終了近くにゴールを許し敗戦。この敗北を機に、一切にマスコミは敗因分析という名の代表チーム批判に転じました(手のひらクル~というやつね)。

集められた批判の内容に目を通してみると、「守備的にいった」「主力を温存した」など消極的な采配を挙げているものが目立ちました。ケガ人が多数出ている現実もありますが、要は相手をナメていた節があるということ。そしてその隙を突くかのようにチームは点を取ることなく敗れてしまいました。3戦目に、これまた強豪のスペイン戦を控えていたこともあり、3試合の中のどこかで手を緩める必要があったのかもしれません。日本人はこの“手を緩める”ことが欧米人と比較してどこか下手なような気がします。

昔、インテリアを手掛ける業者の方にインタビューしたときに言っていたことですが、その社長いわく、日本人は平均して良い仕事を継続する(できる)のに対し、外国人はピークを配分するため、日や時間帯によってクオリティにバラツキがある、とのこと。このとき一緒に仕事をしたのはフランス人だったのですが、約束の時間には来ないし、来てもすぐに仕事を始めず、図面を眺めてただ話し込んでいるだけで、見ていて少しイラつきを覚えたようです。でも、仕事の一番重要な局面に差し掛かると、今までの怠慢がウソだったかのように一気に集中し始め、日本人も驚くようなクオリティの高い作品を仕上げてしまったそう。

僕も似たような経験があります。アメリカのフェンダー社のギターで定価30万円近くするギターを楽器店で試奏したときのこと。高いギターなので、作りもしっかりしているのかと思いきや、フレットの打ち込みが超雑で、手をスライドさせると親指の内側部分に、わずかに飛び出たフレットがゴツゴツ当たり、痛くて弾けたもんじゃありませんでした。

↑コレと同じギター

フェンダーはライセンス契約した日本製のギターもあるのですが、日本製ではこのような粗悪品は皆無。値段も5~6万円で高品質の物が買えるのです。多くのプロギタリストが口をそろえるには、アメリカ製のギターは「あたり・はずれ」が大きく、あたりの1本が放つサウンドは、日本が得意とする「品質」の概念すら凌駕する、本当に最高な物なんだそうです。

単純にサッカーと、成果物であるインテリアやギターとを比較するのは難しいでしょう。それでも愚直に、常に平均点以上のところを狙うのが日本人の特徴であり、良さのような気がします。もちろん、それだけでは世界の頂点には立つことは難しい。それでも「下手にペース配分せず、平均点以上を狙う」というベースが第一にあるのだと思います。

かつて日本代表を率い、今年5月に亡くなったイビチャ・オシムは「考えて走る」サッカーを提唱していました。日本が世界の強豪国相手に勝つために、まずは相手より多く走りなさいと説いていました。オシムはこのときから日本人の特性を理解していたんだなあとつくづく実感します。

ジーパンの寿命

先日、中学2年のときに買ったジーパンを超久々にはいてみました(写真左)。

見た目はかなり色あせていますが、生地がしっかりとしているので快適にはけてます。このことを人に話したところ、「えっ、中学の時のサイズでも大丈夫なの⁉」と驚かれました。当時(1995年ごろ)ジーパンの裾を折り曲げてはくのが流行っていたので、僕も店で購入したとき裾上げせずに折ってはいていたんですね。大人になった今、裾を買った当時の長さに伸ばしているので、長さ的にはちょうどよくなりました(ただしウエストはベルトなしでギリ入る感じです(汗))。

リーバイスジーンズですが、モノが良いので何年経ってもはけます。ただし、写真右側のヤツは5年前くらいに買ったモノなのですが、もう膝の部分が破けてボロボロ。同じリーバイス製品なのにこうも違うものなのでしょうか?

実はこの右側のやつは、新品特有のゴワつきや固さを毛嫌いする人向けに、初めからストレッチ素材を入れて、柔らかくしてはきやすくしているパンツなんです。ところが5年経ってこの有様。値段も通常のジーパンより1万円近く高かったような記憶があるので、損した感じがハンパない。初めから破けているのが好きな人にはこういう製品でもよいのでしょうが、自分はもうこういったファッションをする年齢でもない(笑)。

若い時によい製品に出会えたと思える反面、大人になって買った製品には不満を感じる。ジーパンの寿命ってどんな具合なんでしょうね? その感覚も人それぞれなんでしょうかね??

手塚治虫の功罪

たびたびこのブログに読書レビューを載せていますが、久々に心の底から「面白い!」と思える一冊に出会えました。

サンデーとマガジン (光文社新書) | 大野茂 |本 | 通販 | Amazon

少年漫画雑誌の両雄『少年サンデー』(小学館)と『少年マガジン』(講談社)。1959年(昭和34)に同時に産声を上げたこの少年2誌は、互いに強力なライバルと認めながら、より多くの読者を取り込み、売上部数を確保しようとする戦いを繰り広げてきた歴史があります。

僕の世代(1980年生まれ)だと『少年ジャンプ』(集英社)一択なのですが、藤子不二雄赤塚不二夫ちばてつや梶原一騎など誰もが知っている著名な漫画家たちと作り上げてきた歴史の重みは、この2誌には遠く及ばないことでしょう。

本の内容や読んだ感想は、ここで一言では伝えられないのですが、個人的に読んで気になった、というか自分の中で物の見方が変わった点があったので、この場でで記しておこうかなと思いました。

 

神格化された手塚治虫

この2誌に連載を持っていた漫画家の一人が手塚治虫です。誰もが知っている漫画界の巨星で、死後30年以上経った今でも多くの漫画家にとって憧れの存在です。手塚治虫が亡くなったのは1989年(平成元)。当時小学校4年生だった僕も、巨星が去ったニュースが大々的に報道されたのを記憶しています。さらには同年7月には、歌手の美空ひばりが亡くなったこともあり、「ひとつの時代の終焉」と印象付けるようマスコミが報道していたような気もします。

同業者はもちろん、ジャンルの垣根を越えてさまざまなクリエイターから尊敬を集めていることから、あまりまともに手塚作品を読んだことのない僕にとっても、何となく手塚治虫は神に等しい、敬うべき存在の人なんだという認識がありました。ところが本著では、あくまで手塚治虫は登場する一人の漫画家として取り上げており、彼の残した悪しき(?)慣習や不名誉な点についても、淡々と触れています。

その一つが、後のアニメーション業界に深く根付く「賃金(ギャラ)の安さ」です。当時たくさん少年誌に連載を持っていた手塚は、そこで得た原資で安くアニメーション制作を請け負うビジネスモデルを作り上げました。アニメ制作の過程で多少ロスが出たとしても、本業の漫画で稼いだお金で穴埋めできるとの算段だったのでしょう。何物にも先鞭を付けて「日本のウォルト・ディズニーになりたかった」と著者は記しています。

さらには、後に手塚自身の首を絞めるトラブルに見舞われることになります。手塚のもとで働いていたアニメ制作関係者が、一つの仕事だけでは生活できず、他の制作プロダクションとの掛け持ちで仕事を行っていたところ、リリース前の手塚のアイデアを別の仕事先で漏らしてしまい、それが原因で盗作が生まれる事態に。盗作の存在を知り冷静さを失った手塚はゴネにゴネた結果、盗作の元になった作品の連載中止を決定し、講談社との関係も一時的に切れてしまったこともあります(※)。

※注:この件については、著者の大野氏は「あくまで想像の域を出ない推測」と付け加えていたため、100%事実という確証はありません

プライドと言えば聞こえは良いですが、カネや知名度にからむ妬みなども随所に描かれており、インタビューに応じた両出版社スタッフを通じて、当時を生きる漫画家たちの欲望や苦悩がダイレクトに伝わってくる内容です。

手塚治虫を批判するなんてとんでもない。いや、批判の対象になりうる要素など1ミリもない、まさに聖人君子なような存在だとずっと信じて疑いませんでした。でもやはり手塚治虫も人の子。ジャーナリズムの観点から、登場する漫画家たちのワンオブゼム(One of Them)として手塚治虫を取り上げてくれた著者の大野氏には感謝です。気になった方はぜひ読んでみてください。