猿一匹 酔って候

Live-up Works(リブアップ・ワークス)主宰、大西啓介のブログ。2012年からフリーライターとして活躍。企業のPR媒体から、ごみ、リサイクル問題、老人福祉などの分野をメインに取材・執筆活動を行う。現在は東京都豊洲市場に出入りして水産分野でも活動中。

私の(音楽)履歴書 その3

高校卒業後も自身でバンドを組み、ギターのみならずボーカルも務めるようになり、自作の詩曲でライブハウス出演も繰り返すようになりました。ただ正直プレイヤーとしての才能に限界を感じ、25歳あたりでバンドを解散。以降ほとんどギターに触れる機会もなくなりました。

とはいえ、音楽活動で知り合った仲間たちと共有した時間は自分にとって大きな財産となりました。人(ミュージシャン)の数ほど音楽があって、みなそれぞれ好きな音楽、愛聴している音楽があり、自身の中でも音楽の視野が広くなっていくのがわかりました。

翻って、中学時代を思い出すと、特定のメディアがマスで音楽情報を流し、紹介されるがままにそういった類の物産(CD)を消費していた。2000年代に入り多様なジャンルの音源を取り扱うHMVタワーレコードの登場や、DJブームなどもあり、メディアにより与えられた情報以外で、リスナーそれぞれが貧欲に音楽を探していくような時代が来たことは良い兆候だと思いました。しかしそれでも音楽業界が”売りたい”音楽を消費者が”買わされている”時代がいまだ続いているようにも思います。

一人の中高年のおじさん(前々回のブログ参照)から「エグザイルを聴いているような」と形容される人たちがいることは、元バンドマンとしてなんとも歯がゆく思います。音楽はブームでもありファッションでもあるとは思いますが、やはり本当に素敵な音楽というのは人生を共にしてくれる「友」でもあると思います。一人ひとりが自分のアンテナで、一生かけて愛することができる音楽にめぐり会えたらすばらしい。そう陰ながら思っております。

(おわり)

私の(音楽)履歴書 その2

高校と中学で音楽環境の何が変わったのか? それはずばり「バンド」です。

僕が通っていた中学ではバンドをやっている友だちが皆無で当然「軽音楽部」なるものもありませんでした。中学の音楽の授業でクラシックギターを弾くというのがあったのですが、僕はクラスの男子の中で一番点数が高く、単純な僕は「よし!高校に入ったらバイトしてギター買ってバンドを組もう!」と淡い夢を抱くようになりました。まあ、このときの課題曲は『四季の歌』で、3コードさえ覚えてしまえば誰でも弾ける曲だったんですけどね。

いよいよ高校進学。同級生や先輩の中には中学からギターを始めた腕達者な人もいて、自分の中ですごく世界が広がっていくような錯覚がしました。そして部活動入部のXデーを迎える。軽音楽部に入部を希望する1年生が教室に集められ、上級生から「では何の楽器をやりたいか手を挙げてくださーい」と言われ挙手が始まる。

「ドラムやりたい人ー?」 …

「ベースやりたい人ー?」 …

「ギターやりたい人ー?」 ザワザワザワ~

「あー、こりゃギターが圧倒的に多いですね。まあとりあえず集まった人同士でテキトーにバンド組んでくださいねー。ということで解散~」

実に教室に居たヤツの8割くらいがギター希望。しかもこんな偏りがある中で「バンド組んでくださいね~」はねえだろ。とりあえず近くに座っていたキーボード志望の子とギター志望の子とバンドを組むことに。

そのギターのヤツから「ねえオマエベースに転向する気ない?」と唐突なコンバートを打診される。そのオファーを固辞したところ、「オマエそこまで言うなら絶対途中で投げ出すんじゃないぞ、いいなわかったな!?」とよくわからない脅迫まがいの叱咤まで受ける始末。おまけに3人の曲の好みもバラバラで何の曲を演るのか話がまとまらない。結局一度も音を合わせることなく空中解散することになりました。まあ「音楽性の違いで解散」ってことでいいのかな?(続く)

 

 

私の(音楽)履歴書 その1

ちょっと介護のテーマと外れる内容になりますが、前々回のブログで話題になった「エグザイル」。

http://liveupworks.hatenablog.jp/entry/2015/04/05/222641

EXILEAKB48とかって若者世代の象徴的存在というか、「とりあえずこのあたりの名前出しときゃ若い人にはウケるんじゃね?」みたいな感覚がオヤジ世代にはあるんでしょうね(厚労省の竹内氏に聞いてみたい)。

若者全体の嗜好を特定のアーティストに結びつけてしまうのは典型的なステレオタイプの発想で、ちょっといただけないかなと思います。若い世代でもエグザイルを嫌いな人もいるだろうし、もっと貧欲に色々な音楽を聴いている人もいますしね。

とはいえ僕が中学生だったころは、今思い返すだけでも恥ずかしくなるような没個性・音楽リスナーだったと思います。この場を借りて僕の音楽遍歴を紹介していきたいと思います。

 

CDのレンタルができる「TSUTAYA」の先駆け的な店が増え始めた1990年初頭。TV「ミュージックステーション」のCD売上ベスト10にランクインされたCDシングルを片っ端からレンタルして60分カセットテープに落とし込んで、それをドヤ顔しながらSonyウォークマンで聴くというのが僕の通っていた中学の定番でした(←ホントぶっ飛ばしたくなるぐらいクソ生意気な連中ばかりだったと思う)。

それでも自分の好みで曲順を選んだり、人が借りないようなマニアックな曲を途中で混ぜたり、自分だけのオリジナルテープを作る楽しさもありました。店側も絶対ヒットするであろうシングルは大量に入荷するので、CDの奪い合いになることはなく、中学生のガキ共はみな平等にCDをレンタルすることができました。

反面ヒット期間が終わると、大量に余ったCDシングルの処分に困った店は、1枚100円といった捨て値を付けワゴンに詰めてたたき売りするのだが後の祭り。すでに皆テープにダビングしている手前誰も買わない。そして僕たちはレンタルショップに行くたびに、ワゴンに大量にぎゅうぎゅう詰めにされたTRFのCDに目をくれることなく、最新CDコーナーへ馳せ参ずるのであった。あとどうでもいいが、KATSUMI

http://www.bright-days.com/ のCDがやたら大量にワゴンで売られていたと記憶している。大して人気なかったのに。

そんな僕も中学を卒業、高校入学と同時に音楽の趣味も、周囲の音楽環境もガラリ180度変わることになるのであった(つづく)。

 

 

HALよ来い

介護向けのロボットスーツ「HAL(ハル)」の製品化が決まり、5月より本格的に販売開始となるようです、

開発した筑波大学の山海教授は、数年前(確か2007年ころだったような)に行ったインタビューで、「将来の老老介護に活用を見出されれば」と発言されていたので、ようやく今になって花が開いたといったところでしょうか…

先日スタッフと打ち合わせをしていて、このロボットスーツを試験的に導入した施設の話が出てきました。人体から発する微妙な力(生体電子信号)を感知して動力に換えてくれるのですが、なかなか思うように動かず使いにくい、まだまだ課題が多いとの声が現場から出たとのこと。

とはいえ、これから導入が進むであろう介護用ロボットの特集なども組んでいければなと思っています。

隗より始めよ

介護労働人口の不足が叫ばれている現在ですが、その対策として、厚生労働省は保守的で地元意識の強い若者(通称マイルドヤンキー)に介護職をあっせんするプロジェクトを進めているとのことです。

関連記事↓

厚労省が本気で考える"マイルドヤンキー"での介護人材不足対策は成功するのか?|健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS

主たる産業や観光もなく働き口が乏しい土地で、地元志向の強い人たちに介護職に就いてもらおうというのは決して悪くないアイディアだと思います。しかし厚労省の意図を見る限り、「低学歴の人間でも就ける仕事」「低収入でもやりくりできる環境にある」など、明らかに地方人を見下しているスタンスなんですよね。

記事を読んでいて閉口したのが、厚労省福祉人材確保対策室長だった竹内和久氏の発言。

以下コピペーーーーーーーーーーーーーーーーーー

前出の竹内氏は、会場に詰め掛けた全国の福祉・介護施設の経営者やリーダーたちに向かって「近くのショッピングモールで軽自動車に乗りエグザイルを聞くような若者を見かけたら、すぐに声をかけてください。彼らはいい人材ですからね」と笑いを誘おうとしたが、会場には戸惑いが広がった。

この違和感こそ、霞ヶ関の官僚たちが机上で考えていることと実際の介護現場で葛藤している人たちが感じていることのギャップなのだろう。

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とりあえず竹内さん、まずはご自身が〝ショッピングモールで軽自動車に乗りエグザイルを聞くような若者”をスカウトして実例を見せてくださいよ。

 

静かなるレジスタンス

東日本大震災から4年が経ちました。僕も被災地へ行ったことがあるのですが、人と人とが力を合わせて、着実に復興へ向かっていると思います。この4年間で達成できたことというのは確かに限界があると思います。それでもいつの日か、被災者の皆さんが元気で生活できる日が来ることを願っています。

さて、先日歩道橋を歩いていると、青看板の裏側にこんなステッカーが貼ってありました。

「Tokyoのネオン、Fukushimaの原発

このメッセージを見て、何か胸が締め付けられる思いがしました。

ご存じのとおり、福島の原発事故以降、各地で反原発を訴えるデモが頻発しました。しかし「危ないからただちに停止せよ」というだけで、エネルギー代替案など具体的に止めた後、私たちの生活に生じる制限や未来への展望などまで言及した、建設的なデモは皆無でした。

また事故当時は一斉に各店舗や看板などの灯りが消え、自粛ムードが日本全体を包みました。あれから4年。事故当時に全国を席巻した節電をいまだ実践している人はどれくらいいるのでしょうか? 

極論から言えば、あの大震災と原発事故で一度日本は滅びた、僕はそう思っています。そこから新しい価値観で新しい日本をどう創造していくか、これは日本国民全員に課せられたテーマだと思っています。一つだけ確実に言えることは「今までの生活レベルの維持では何も進展はしない」ということです。

このメッセージに込められた想い。それは、眼下の惨状に対してヒステリックに反発するのではなく、未来の私たちのために、何が必要で何が無駄な物なのか、 今一度自分で考えて日々の生活で実践していこう。そう静かに呼びかけているように聞こえます。

江戸時代の介護 ~編集後記

まず初めに、2月号の更新が大幅に延びてしまったことをお詫び申し上げます。

今回の特集は「江戸時代の養老と介護」。はるか昔、江戸時代の人たちはどのように高齢者をケアしていたのか? という素朴な疑問から今回の特集を組むことになりました。

特集:江戸時代の養老と介護 Part1 | 介護の応援マガジン Live-up works

正直参考文献が限られており、何か手がかりがあるかも… と期待していた江戸東京博物館(東京都墨田区)は改装工事中のために結局来訪できずでした。

記事を作成していて感じたのは、江戸時代、「年配者は敬うべき存在」という意識が徹底されていたこと。もちろん家族の間でもそうですが、長屋暮らしの独居老人の世話をしていた隣人のエピソードを聞くと、人と人との距離が本当に近かったんだなと思います。

また幕府も、自分の親、祖父母といった具合に先祖を敬うような政治方針を推奨していたこともわかりました。これは極めて儒教的な思想と言えなくもないですが、昨今ニュースを賑わせている、子どもが親を殺すまたはその逆パターンなど、耳を疑いたくなるような事件が頻発している現状を考えると、この時代の人たちの思想や政治方針がいかに自然かつ健全なものだったかがわかります。江戸時代の人たちがこの手のニュースを知ったらどれだけショックを受けるでしょうか。

具体的な介護に言及すると、お金持ちの商家や武士は使用人を雇い、年老いた自分の両親や祖父母の介護を依頼していました。しかしそれは部分的な話であって、金持ちもそうでない人も、基本的に家族で高齢者をケアするという不文律が存在していました。

現在は核家族化や女性の社会進出が当たり前のようになっており、一昔前のような家族ケアが難しいものになってしまいました。そして時期を同じくして介護関連の法整備が進み、あらゆる介護サービスが萌芽してきました。ただ江戸時代の人たちが大切にしていた年配者への敬意や家族の絆が、時代とともに薄らいできているような気もします。

おじいちゃん、おばあちゃんがいるから自分の親がいる。両親がいるから自分がいる。こんな当たり前のことでも、自分がなぜこの世に存在するのか、そう考えただけでも先祖への感謝そして家族のという存在の尊さが自然とわかってくるものではないでしょうか?