猿一匹 酔って候

Live-up Works(リブアップ・ワークス)主宰、大西啓介のブログ。2012年からフリーライターとして活躍。企業のPR媒体から、ごみ、リサイクル問題、老人福祉などの分野をメインに取材・執筆活動を行う。現在は東京都豊洲市場に出入りして水産分野でも活動中。

映画『サファリ』を観て

先日の久々の休みの日、渋谷までドキュメンタリーの映画を観に行ってきました。最近はアウトプットばかりでいい加減スッカラカンのカッピカピ状態になってきていたので、よいリフレッシュになりました(笑)。

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『サファリ』はオーストリアのウルリヒ・ザイドル監督が手がけた作品で2016年に公開されました。今回日本で上映された経緯ですが、高校時代の友人である配給元のサニーフィルム代表の有田君(写真左)が直接制作サイドにオファーを出してやっと日本での上映が実現したようです。僕は正直映画ビジネスに関しては疎いのですが、一つの作品を上映するまでに多大な時間とコスト、マンパワーを要することは知っています。「どうしても日本で上映すべき作品」という彼の熱いコメントを見て、なんとなくではあるけどこの映画を観たい気持ちに駆られていきました。

テーマはアフリカのサバンナで繰り広げられる狩猟(トロフィー・ハンティング)。合法的な狩猟とされているが、裕福層である白人たちによる、あくまで“趣味の”域で行われている殺害行為です。

約1時間半の上映時間のほとんどが、ガイドに付き添われ狩猟をする客に密着しているシーンのみです。

遠くの位置から獲物である動物をねらいライフルの引き金を引く。双眼鏡でターゲットが倒れたのを確認してからその場所へ向かう。死亡を確認した後、倒れた動物と記念撮影を行う。狩りには親子で来ている者、恋人同士で来ている者。老夫婦。途中挟まれるインタビューのシーンでは、目的の動物の名を上げたり、それら動物の値踏みをしたり、使用する銃のスペックに対するこだわりを語ったりと、そこに「殺害」に対する自責や憐憫の色は一切ない。しかも「(病気で)弱った動物を間引くことは繁殖を手助けすることにもなる」と開き直ってさえいる。

僕自身、こんな蛮行に面白みを感じないし、心底無駄な殺生だと思います。しかし観光・ガイドとしての収入源となるほか、食肉や毛皮としても再利用されるなど、現地の人たちの生活の大きな手助けになっているのも事実。始めは「許せない」という思いが強かったが、観ている途中で「牛や豚、鶏の殺生と何が違うのか」「動物はNGで魚(釣り)はOKのその根拠は?」といった具合に、結局は「多くの命の犠牲の上に我々人間の命は成り立っている」という、誰もが目を伏せる当たり前の事実を突きつけられ、自分も間接的にその行為に加担しているということを痛感しました。

途中キリンを解体するシーンも出てきますが、不思議と目をそらすことなくスクリーンに集中することができました。

映画の最後の方で出てきた、印象に残ったハンターたちのコメント

「人間がピラミッドの頂点に居ることが一番の問題だ」
「世界は人間が増えすぎてしまった」

自己弁護が得意な欧米人らしいコメントだが、やはり彼らにも罪の意識はあるようだ。

 

www.movie-safari.com

 

 

守るべきものはお金? それとも命?

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長かった。ただ長かった。

1月中はほとんど無休で、本日2月2日にやっと1日フルでお休みですよ。

疲れた体をリフレッシュするため温泉でもいきたいなー。泊まりはお金もかかるし、日帰りで行けるところとか探そうかなと。

今の世の中、交通網も発達してきて、例えば小1時間あれば新幹線で名古屋や仙台あたりにアクセスできますからね。現在リニア中央新幹線が計画中で、開通したらもっと早く名古屋にアクセスできるだろうし、温泉へ行くにも山梨で途中下車や、名古屋から岐阜へ北上するのもグッと時間短縮できそう。

さてリニア新幹線と言うと、建設にからんだ大手ゼネコンが談合の容疑をかけられていますね。疑いをかけられた4社は、予想される入札金額では利益が出せないと判断し各社間で談合が行われた模様。

この談合でふと思い出したのが、2年前の年明けすぐに起きた軽井沢のバス横転事故。将来の希望あふれる大学生の命が奪われた悲しい事故です。それでなくとも観光バスの死亡事故はここ数年定期的に起きていて、ドライバーの過剰勤務とそれを黙認するバス会社。そして法定外の安い値段で契約を押し進める旅行代理店による悪しき連鎖がまったく改善できていないように思います。

どこも台所事情は厳しいでしょうが、根本的な解決を図らないかぎり、遺族の思いむなしくまた同じような事故が繰り返されるのは想像に難くないでしょう。

もしここでバス会社同士で談合が行われていたらどうだったでしょうか? 勇気を持って法定外の金額提示に「No!」を突きつけていたら、多くの命が助かっていたのかも… なんてことを思ってしまいました。

このバスを運転していたドライバーは、就職先がまったく見つからず、やっとの思いで事故を起こしたバス会社に就職が叶ったようです。観光バスの運転に必要な大型2種の免許も入社後に取得したよう。

末端で働く人の安全や健康がまったく無視されている業界。違反とわかっていながら、利益追求のためではなく、最低限の生活水準を守るためどうして誰も声を上げなかったんだろう? 現場で働く人の声がまったく届かず、その事実に無頓着というか無関心を装っているバス会社と旅行代理店、そして監督者として機能していない行政の責任はとても重いものだと思います。

正月 里帰り

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

昨年末から年初まで、特に遠出することなくいつも以上に質素な正月を過ごしておりました…

僕は3日の日に松戸の実家に里帰り(と言っても自宅から電車で小一時間の距離だけど)しました。祖母も施設から戻ってきていて、いつも以上に楽しく家族の輪の中に入っていたような気がします。

食欲もあり、「あれ食べたいから取ってくれ」と積極的にコミュニケーションも取れるようなので少し安心しました。トイレや施設への送り迎えのときは僕がおんぶして移動介助したのですが、去年一度転倒して腰を骨折しているのでやはり気を遣います。骨折は一番の寝たきりの原因ですからね。

母と二人で車で施設まで送り、疲れた表情で布団に入りこんだ祖母の表情はどこかうれしそうで穏やかなものでした。いつまでこんな時間が続くかはわからないですけどね。

交代制とはいえお正月から介護の現場で働いている皆さんのご尽力には本当に頭が下がります。一方ワタクシ、Live-Up Workerのほうはなかなか更新できていません。それでも執筆依頼の仕事も日に日に増えてきており、休みがほとんどない状態ですが、それはそれで充実しています。「目の前の仕事に今は必死で取り組むだけ!」。そう日々自分に言い聞かせています。皆さんも仕事にプライベートに、充実した1年となるよう祈念いたします。

 

大病院で頑張る人たち

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先月のニュースになりますが、厚生労働省財務省が来年度の予算編成で、大病院の周辺に店舗を構える、いわゆる「門前薬局」の調剤報酬を下げ、地域にあるかかりつけの薬局の報酬を上げるそうです(※以下記事、最後まで読むには会員登録が必要)。

「門前薬局」報酬下げ 厚労・財務省「かかりつけ」手厚く :日本経済新聞

記事の冒頭部には書かれていませんが、こういった門前薬局はユーザー(患者)の服薬まで管理しておらず、「かかりつけ」の機能を果たしていないと評されています。私見ですが、大病院VS町中のかかりつけ病院という対立構造を薬局にまで広げて論じているような気もしました。

なんとなくですが、日本では「個人開業医=庶民の味方」であって、大病院はどこかビジネス的な冷たい対応で、医師同士による権力争いが絶えない伏魔殿のようなイメージを抱いている人が多いんじゃないかと思います。TVドラマの影響もあることでしょう。

しかし町医者は、日ごろのかかりつけの患者の容態は把握しているでしょうが、複雑な検査が必要になった場合や、手術が必要なほどの大病を患った患者に対しては、紹介状を書いて結局は大病院に任せる手段を取ります。人間いつまでも元気で生きられるわけではないですし、どちらの存在も私たちの強い味方であるはずです。

僕も20代前半のころ、某都立病院で医療事務をやっていました。病院は24時間体制で、当直医は昼間の自分の仕事を終えてから当番制で夜の緊急診療に備えていました。大体30代くらいの若い医師が多いのですが、眠そうにしている人、から元気で明るく振る舞っている人、皆さん本当に大変な思いで勤務にあたっていたことだと思います。

政治に大きな影響力を持つ「日本医師会」ですが、これは個人開業医による集まりの団体で、自分たちの名誉や利権は守るが、大病院に勤務する医師のことはどこ吹く風というスタンスです。その証拠に大病院は医師不足に泣かされているところが多いですが、開業医(歯科は除く)が人手不足でつぶれているという話はほとんど聞きません。

今回の調剤報酬改定も、大病院サイドに不利となる改定です。確かに町医者は心強い存在かもしれませんが、大病院でボロボロになりながら深夜の急病や事故に備えている若い医師たちの存在も決して無視してはいけないはずです。どちらが生命の危機に瀕するケースが多いことか一目瞭然でしょう。

 

「技は見て盗むもの」は真っ赤なウソ

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はい、いきなり売れ線ねらいの意図が見え見えの書籍風タイトルな見出しでスンマセン。今回はいわゆる「職人」の世界の話をしようと思います。

私は以前シリーズで、金物の職人さんたちの取材をしたことがあります。合計4名の方にお話を伺ったのですが、4名とも共通しておっしゃっていたのが

「よく“技は見て盗め”というが、それよりもきちんと教えてあげたほうがはるかに良い」

ということ。

この発言の裏にはどのような意図があるのでしょうか?

まず、基礎はしっかりと手取り足取り教えてあげたほうが早く一人前に育つ、ということ。そしてご自身たちが、付いた師匠になかなか教えてもらうことができず技術習得までに時間を要したため、そのことに対する反発も少なからずあるような気がします。

昔は色々な職人さんのところに弟子入りを志願する人も多く、師匠もいちいち全員の面倒なんか見ていられなかったという時代背景もあるでしょう。しかし現在、伝統工芸の技術を受け継ぐ若い人たちの数は減りつつあります。早く技を伝授して自分の後継者を育てること、ひいてはその世界を継続・繁栄させていく人材の枯渇に大きな危機感を持っていることも間違いないでしょう。

僕の意見ですが、どんな世界でも「基礎」はしっかりと先輩たちが教えてあげる必要があると思います。基礎の欠如は「安全」に反するものですし、貴重な資源を使いモノづくりをするのならば、限りある素材は無駄にできないからです。

そしてある程度基本を習得できてからは、後は本人たちの努力次第になります。

師匠の作業や作品をよく観察する。書籍を買って勉強する。美術館や骨董市などで作品を観察し、必要であれば購入する。このあたりからは弟子一人ひとりの意識の高さやセンスが問われてくることころ。

こうしてできあがった「基礎」の上に、その人の感性やセンスが盛り込まれたものが「作品」として認められ、その人の付加価値となります。ここまできてやっと一人前になれるのではないでしょうか?

一度途絶えてしまった技術は簡単にはよみがえりません。「痛くない注射針」で有名な岡野工業株式会社代表の岡野雅行さんも、同じく職人だった実父から橋の欄干に付いている装飾品(よくスライムみたいな形しているやつ)の鍛造技術を教えてもらえないままお父さんが亡くなってしまったので、いまだに再現ができないと自らの著書で述べています。

技の習得は時間をかけるほど評価されるというわけではないですからね。しっかりと後進を指導して、日本に広く息づく伝統工芸の継承に力を入れていただきたいと思います。しっかりとした指導スキームが完成されているのなら、少しは人材も集まりやすいのではないでしょうか?

 

 

 

 

今年のハロウィンは…

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世間はハロウィンで盛り上がってますねー。僕も毎年1~2回くらいは何らかのハロウィンパーティに参加していたんですが、今年は不参加。子どものころにも、仮装して近所の家までお菓子をもらいに歩くハロウィンのイベントはあったのですが、正直あまりこの手のイベントは好きでないんです。

ニュースでも奇抜な格好をした人が映し出されていますが、結局日本でのハロウィン=コスプレパーティですからね。でもあれだけ大勢の人が熱狂するということは、それだけコスプレ願望のある人たちが潜在的にいるということでしょう。

そういや最近街中で、ピンク色や紫色に髪を染めている人をやたら目撃します。若い子たちばかりでなく、見た感じ自分と同じ30~40歳くらいの人もいます。

どこか「奇抜な格好をしたい」と心の中で思っていても、日常的に変な格好できるわけでもありませんしね。いつ警察から職務質問されるかもわからんし。せめて髪だけは目立つ色にしたいという人が増えているのかもしれませんね。

プロのプロによるプロのための…

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今月18日に亡くなられた西室泰三氏。東芝日本郵政東京証券取引所などの社長を歴任した方で、昨日(20日)の日経新聞にも政財界から故人を悼む声が多数寄せられていました。

ところが亡くなった当日、Yahooニュースのコメント欄を見てみると、「相次ぐ経営の失敗で巨額の損失を日本にもたらした張本人」と手厳しいコメントばかりで、故人の功績をねぎらうようなコメントは皆無でした。まあ東芝は今、完全に針のむしろですからね。国民からリスペクトされないのは仕方ないことでしょう。

いわゆる“業界人”からは評価を得ていても、国民にその功績や恩恵が理解されないケースって多々あることだと思います。2020年東京五輪エンブレム問題に揺れたアートディレクターの佐野研二郎氏もその一人でしょう。パクリ疑惑が発覚した途端、集中して非難され続けましたが、選考委員や同業者は徹底して彼をかばい続けました。一般公募で選ばれた別の作品が採用された後も、審査委員長まで「(決まった作品より)佐野作品の方が良かった」と言い出す始末。

もともと大手企業がからむ商業要素の強いイベントなどの制作を請け負うのは、「有名美大→大手広告代理店→独立」の黄金キャリアを進んだ少数のデザイナーやアートディレクターたちで、いざコンペになると彼らの間で牌の譲り合いをしている世界なのです。狭い世界の中でこういったことが慣習となってくると、厳しく新しい視点で物事を評価するよりも、お互いの顔色を見ながら仕事の配分を決めていく方が業界内での“評価”につながるということです。こういった世界なので、事情を知らない国民とプロたちの間で温度差が生まれるのは当然のことでしょう。

さて明日は第48回衆議院選挙の投票日。「選挙の主役は私たち(国民)一人ひとりです!」みたいなコピーが各所から聞こえてきますが、結局国民は直接政治家を選ぶのではなく、住まいのある地域で各政党が擁立した候補者を選ばなくてはいけない仕組みです。どの選挙区でどの候補者を擁立するか、各政党とも思惑はあることでしょう。そして立候補している人たちも、“政治家目線”で優秀であるかもしれませんが、投票する国民にとって、本当に信頼して票を預けてよい人なのかは不透明です。

「プロのプロによるプロのための…」がまかり通った結果、色々なところで業界人と国民との間に大きな溝が生まれています。政治家が何を演説しても聴衆の心に響かないのは、このギャップを埋めようとする意志がないから。限られた人数の中で「はい良くできましたねー」と評価され完結してしまう世界なんて、幼稚園のお遊戯会と変わらんレベルですよ。